フランスの風刺画問題がこじれています。
マクロン大統領はムハンマドの風刺画を「表現の自由」として支持すると明言しました。
かといって、逆にキリストの風刺画なんか描かれたら
キリスト教徒による襲撃が起こるでしょう。刃物ではなく銃だと思いますが。。。
何が問題かというと、
描かれているのが故人であるという点です。
もしこれがどこかの国の指導者など存命する人物なら、対応が違ってきます。
ご本人が名誉毀損で裁判を起こすかもしれないし、
子分がテロに走ったらご本人の責任が問われます。
ていうか、本人が「許す!」と大人の対応を見せるかもしれない。
ところがムハンマドの場合、すでに故人なので
本人が法的に訴えることもできず、
大人の対応で「許す」こともできません。
こうなると、ムハンマドが「許す」と言っていないのに信者が勝手に許すわけにはいかないでしょう。
そして信者がテロに走るのをムハンマドはあの世から止められないし、責任取れません。
人は自分のことをバカにされるのは飲み込むこともできますが、
その場にいない大事な人が侮辱されるのを「許す」ことはできません。
心情ではなく、構造的な問題です。
「おまえの母ちゃん、でーべーそ!」と言われても、
お母さんがその場にいたら「私のことはいいから、仲良くしなさい」と許すことができます。
あるいは「いいえ、私はでべそではない!ほらっ」とおへそを見せてくれるかもしれない。
その場にいないお母さんが侮辱されるから許せないわけです。
それが故人なら、なおさらです。
爆笑問題の太田光さんが週刊誌を訴えた裁判も同じ構図です。
法廷で終始ボケていた太田さんが、お父さんについてだけは真顔になって
すでに故人で証明も反論もできないのに一方的に書かれるのは許せない
と言っていました。
「風刺の自由」を主張するなら
もの言えない故人を侮辱するアンフェアなやり方ではなく、
反論できる存命中の人物を風刺してこそ
建設的な問題提起になるんじゃないでしょうかね?
<メルマガ【ミニマル思考】2020.11.2 Vol.0797>
シリーズ累計25万部のベストセラー参考書「何を書けばいいかわからない人のための 小論文のオキテ55」の著者。代々木ゼミナール小論文講師を経て、現在は文章力トレーニングの専門家として大手企業の社員研修に多数登壇。合同会社ロジカルライティング研究室代表。