「みかんが17個あります。3人兄弟で均等に分けるには?」

ジュースにしちゃえばいい。

 

「兄弟が形も大きさも違うコップを持っています。喧嘩にならないようにオレンジジュースを分けるには?」

ジュースを飲みきれないほど大量に用意すればいい。

 

不公平感をなくすには「補正」より「発想の転換」です。

 

給付金の話が二転三転しています。

景気のためなのか救済のためなのか、目的(イシュー)が混在しているというのもありますが、

「不公平をなくそう」という圧力も話をややこしくしている一因です。

 

「公平」にはコストがかかります。

受給資格のルールを作り、申請者全員を審査し、ズルしてる奴を探し、見つけたら捕まえないといけません。

制度の漏れで損する人からは補填しろとクレームが来ます。

手続きの仕組みをつくるのにまた民間企業に外注して、コストが発生します。

給付までの時間も社会的コストです。その間に困窮して自殺する人や犯罪に走る人もいますから。

 

国民全員に一律で配ると、それらの手間はだいぶ省けるかもしれません。

 

平等に全員に配って管理コストをかけないのと、

公平に必要な人にだけ配って管理コストがかかるのと、

どっちが合理的か、冷静に試算してみたらどうでしょう?

 

まあ、この「冷静な試算」すら許さないのが

「不公平は許せない!」という感情なんですよねえ(笑)

《おすすめ過去記事》
「東大女子お断り」の東大生サークルに「男女平等」を求めるのはフェミニズム的には正しくても合理的なんだろうか?問題

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