お墓を持たないという選択
伝統行事に疎いもので、
お彼岸というのがよくわかっていません。
お墓参りに行く日?
いやいや、お盆に行ったばかりだし。
それより不思議なのはお盆のお墓参りです。
実家で火を焚いたり提灯下げたり仏壇を飾ったりして
「ご先祖様をお迎えする」
だったら、お墓に行く必要なくない?
家に来てるんだから。
ゲストの留守宅に行ってピンポン鳴らしているようなイメージが・・・
最近、同級生の間でも「実家とお墓をどうしよう?」という話題が出るようになりました。
両親が他界して、兄弟みんな東京に住んでいると
故郷に帰る理由が「墓参り」しかなくなってきます。
あんまり合理的ではない。
そもそも「◯◯家代々之墓」というのは
家父長制とか生まれた土地で一生過ごす的なライフスタイルの産物に過ぎず、
血縁や地縁から自由になった現代人にとっては
「不良債権」になってしまうのかもしれません。
これから「お墓」は二極化していきます。
地元に基盤がある人たち(事業家とか議員とか)は「◯◯家代々之墓」を守り、
都会に出て結婚・離婚も居住地も自分で決める人たちは「お墓」なんか持たない。
実際、樹木葬や散骨など墓石に縛られない埋葬法が増えていますよね。
流通ジャーナリストの金子哲雄さんは、亡くなる前にご自身の葬儀を完璧に手配していました。
その金子さんが選んだ埋葬場所は、思い出の多い東京タワーのふもとの心光院。
ただし、その心光院の「共同供養塔」でした。
これこそ「◯◯家之墓」に縛られない、最先端の生き方だったのではないかと思います。

シリーズ累計25万部のベストセラー参考書「何を書けばいいかわからない人のための 小論文のオキテ55」の著者。代々木ゼミナール小論文講師を経て、現在は企業研修講師としてビジネスパーソンにロジカルシンキング、ロジカルライティングを指導。合同会社ロジカルライティング研究室代表。