中学生の作文なら許されるけれど
高校生の小論文だと評価されなくなり、
公務員試験の論作文で書いたらアウトなこと。
それは「善悪で裁く」ことです。
「○○は許されないと私は思う」の類です。
善悪というのは個人的な価値観であって、立場によって変わります。
なので「へえ、君はそう思うんだね。僕は違うから」
と、説得力を持ちません。
マスクしない人はダメだ、親切にしない若者はダメだ、子どものお弁当を手作りしない母親はダメだ、金儲け考える政治家はダメだ・・・
でも、
マスクしない人にも事情はあり、席を譲らない人にも別な考えがあり、手作りしない人にも優先順位があり、金儲け考える政治家には表に出さない計画があるかもしれません。
「盗人にも三分の理」といいますが、
「わからず屋にも五分の理」があると思って耳を傾けるのが
脱主観=客観的に物事を考える第一歩。
そういう意味で、意見が対立する系のテーマでは
「メリット/デメリット/Win-Winな解決策」という三段落構成が「大人の正解」です。
「私は賛成だ/なぜなら/しかし/よって私は賛成だ」という某大御所先生による「これだけ!」方式は
冒頭から「主観でーす!」と宣言してしまっているんですね。
これが許されるのは小中学生のあいだだけです。
大学入試と公務員試験では
善悪とか正義感とか好き嫌いは引っ込めて、
「わからず屋の五分の理」に耳を傾けましょう。
<メルマガ【ミニマル思考カフェ】2020.10.4 Vol.0768>
「ビジネス国語」によって職場の諸問題を解決する研修講師。
就職試験の論文をほぼ白紙で提出し3社連続で落とされたのをきっかけに論文試験の攻略法を研究。誰でも書ける独自のメソッドを開発した結果、大手大学受験予備校の小論文講師に抜擢される。参考書「何を書けばいいかわからない人のための小論文のオキテ55」はシリーズ累計25万部のベストセラーに。
その後、所属予備校が業界最大手から陥落し全国の校舎を閉鎖、自身もリストラされる怒涛の数年間を経験。意思疎通のエラーで混乱していく組織を詳細に観察し「ビジネス国語」を体系化する。独立後は社会人教育に転身し、大手企業の社員研修に多数登壇。受講者との軽妙なやり取りは「研修というより、めちゃくちゃ役に立つエンタメ」と評される。
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