「オランウータン問題」の答え方を見ると、人の思考回路には正解と不正解の分岐点があることがはっきりわかる件
先日の、チンパンジーとオランウータンの話の続きです。
(箱を開けてバナナを取るのに、チンパンジーはガチャガチャ試しまくり、オランウータンはじーーーっと見ているが、結局かかる時間は変わらない、という話)
実はあの話、ある大学の小論文で出題されたものです。
「この実験から考えられる、日本の教育の問題点について論じなさい」
この場合、望ましい問題提起はこうです。
「オランウータン型の、何を考えているかわからない子は学校で評価されにくい」
ところが高校生の半分はこう書いちゃうんですよ。
「オランウータン型の怠け者に努力をさせるにはどうすべきか」
「所要時間は同じ」と書いてあるのを見落としただろ!
怖いですね。ちゃんと読まないで書くと、第一段落でアウトです。
これが大学入試の小論文。
さて、第一段落が
問題提起「『何も考えてない』と誤解される子がいる」であれば、
次は第二段落、原因分析「なぜそうなるのか」なんですが・・・・
ここでまた高校生たちの答案は2つに分かれます。
「なぜオランウータン型の子は『何も考えてない』ように誤解されるのか?」
「なぜ学校の先生は、オランウータン型の子が『実は考えている』ことを見落とすのか?」
この2つの問い、主語が異なります。
「なぜオランウータン型の子は誤解されるのか?」と問うと、
「オランウータン型の子はじーーーっとしていて動かないから」
あれ?
堂々巡りしているようなww
このまま解決策を考えると
「動き回ってやる気アピールをするべきだ」と続いてしまい、
オランウータン型の良さを全否定する本末転倒な結論に至ってしまいます。
これに対して、
「なぜ学校の先生は見落とすのか?」という問い方だと、
「学校の先生は忙しいし、宿題の締め切りとか定期テストとか期限内に生徒を評価しなきゃいけないし、内申点は先生の主観に左右されるし・・・」
と、学校の仕組みの問題が次々と浮かび上がってきます。
「なぜ?」の主語を「生徒」にするか「先生」にするかによって、
議論の方向性はこれまた180度変わってくるんですよ。
ここまでくると、第三段落の解決策は
「学校の評価の仕組みをどう変えるか」になります。建設的な提案でいいですね。
(ここからは具体的な提案内容で合否の差がつくことはありません。実効性があるかどうかはやってみなければ証明できませんから)
このように
受かる小論文と落ちる小論文は
問題解決の思考回路が明らかに違うんです。
あ、これをフローチャートにすればいいのか!
次の本でやってみよう。
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