中学2年生まで、青森県の八戸というところで育ちました。
八戸の中でもだいぶ端っこの、海沿いの地域です。
ここがまあ、1980年あたりは治安の悪い町で(笑)
授業中、先生が生徒に殴られて骨折したと朝刊に載り、
荒れる学校としてテレビ中継され、
毎年卒業生のうち数人は地元の暴力団に就職する。
当然、生徒の学力も県内最低クラスでした。
(※現在はだいぶ変わったそうです)
私も不良に目をつけられないように毎日怖い思いをしながら世渡りしていたのですが、
3年生になるとき、父の転勤で引っ越すことになりました。
もう、ラッキーですよ。命拾いしましたよ。
そしたら、
転校した先が、青森市内で1、2番を争う「できのいい学校」だったんです。
初日、朝自習の時間に全員が机に向かっているのを見てビックリしましたね。
(キャッチボール始めたりしないんだ!)
「志望校どこって書いた?」「青森高校と函館ラ・サール」
(前の学校でそれ言ったら「調子こくな」ってボコられる!)
同じ15歳とは思えないくらい、意識も姿勢も違っていました。
いい影響をたくさん受けました。
ここでの同級生たちは、いまでは医者とか経営者とか各分野で大活躍しています。
ただ、一番印象に残っているのは
この「できる学校」にもいた、不良たちなんです。
中3の秋にもなると、さすがの不良たちもピリピリしてくるわけですよ。
些細なことでケンカが始まります。
お互い「ゴルァ!!」と胸ぐらをつかんで睨み合うと
周りに野次馬が集まって取り囲むわけですが、
そこで不良仲間の一人が言うんです。
「ちょっと待て! 笑え! ここで笑え!」
手を出す前なら冗談に変えられる。
笑いに変えれば、怒りも収まる。
怒りの感情って、その程度のもの。
いまでいう、アンガーマネジメントです。
中3の不良たちがどこでこんな技術を覚えたのか不思議です。
荒れっぱなしで毎日事件が起こる底辺校と
秩序が保たれ、学力もトップクラスの学校。
この違いは「怒りを笑いに変える」という選択肢を
子どもたちが知っていたことが大きいんじゃないかと思います。
どっかの野球部の体罰のニュースを見ながら、そんなことを思い出しました。
「ビジネス国語」によって職場の諸問題を解決する研修講師。
就職試験の論文をほぼ白紙で提出し3社連続で落とされたのをきっかけに論文試験の攻略法を研究。誰でも書ける独自のメソッドを開発した結果、大手大学受験予備校の小論文講師に抜擢される。参考書「何を書けばいいかわからない人のための小論文のオキテ55」はシリーズ累計25万部のベストセラーに。
その後、所属予備校が業界最大手から陥落し全国の校舎を閉鎖、自身もリストラされる怒涛の数年間を経験。意思疎通のエラーで混乱していく組織を詳細に観察し「ビジネス国語」を体系化する。独立後は社会人教育に転身し、大手企業の社員研修に多数登壇。受講者との軽妙なやり取りは「研修というより、めちゃくちゃ役に立つエンタメ」と評される。
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